己れに願いはなくとも 願いをかけられた身だ(2021年法語カレンダー5月)

己れに願いはなくとも 願いをかけられた身だ

平等心をうるときを 一子地となづけたり
一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし

と親鸞聖人は浄土和讃に残されました。阿弥陀様はいつも私達のことを平等に見てくださっていて、自身の子供のように愛してくださっている、そしてその愛は私達たちが望まないときでも、気づかないときでも私達に向けられているのです。実際に私達も自分が親になってみると、子供に対する愛情は特別なものであると実感するのではないでしょうか。また、自分が今まで成長する過程で親から愛をたくさんもらっていたんだととも気付かされる機会にもなると思います。
歌手の美輪明宏の言葉で「恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの」というのがあって、私自身とても心に残っています。どんな人でも恋から始まると思いますが、最初はかっこいい人や可愛い子と一緒にいたいと思って恋は始まるのでしょう。そのためにお洒落をしたり、プレゼントをあげたりするのです。そんなときは相手のためになるようなことをしていても、結局は自分の欲望のために行動していることが多いのではないでしょうか。もしそれが本当に相手のためになることを、自分を犠牲にして行えるようになればそれは愛と言えるのではないでしょうか。でもそんな相手への愛は実は見えない、気づかれないことも多いのです。愛であれば相手が幸せならそれで満足できるはずですが恋ならそうはいきません。なぜなら、相手に気づいてもらう、自分を評価してもらうことを目的としているからです。
ここで今月の法語の紹介ですが、「己れに願いはなくとも 願いをかけられた身だ」という言葉です。まさに阿弥陀様の私たちを救いたいと思う気持ちは恋ではなく愛の気持ちなのでしょう。阿弥陀様の願いは私たちすべてがお浄土に新たに生まれるということなのですから。

 

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