真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし(11月の法語カレンダー)

今日はとある漢字の読み方からお話ししたいと思います。「最中」と書いて何と読むでしょうか。ある高校生のお話なのですが、授業で現代文の教科書を音読する機会があったそうです。その読む文章は「最中(さなか)、健司はこう言った。・・・」という文章だったそうです。しかし、高校生は「最中(もなか)、健司はこう言った。・・・」と読みました。教室の中は、笑い声に包まれました。先生も一緒に笑うか思うと先生は「よく知っているな」と褒めてくれたそうです。この生徒は無意識にお菓子の「もなか」のことを思ってこう読んでしまったのに先生はなぜか褒めてくれました。そして先生は教室の生徒に「なぜお菓子のモナカとその時を表すサナカは同じ漢字なのか調べてみましょう」とみんなに宿題を出しました。この先生は、上手にこの高校生をミスを目立たないようにしてくれたのです。それ以来、この高校生はこの先生を慕うようになったそうです。

ところで「最中」を漢字辞典を引くと「さいちゅう」「さなか」「もなか」と三種類の読み方が出てきます。語源は「最も真ん中」という意味です。なんの真ん中かというと月の満ち欠けのことです。なので「最も真ん中」は満月ということになります。この満月の形に似ているお菓子なので最中というお菓子になったと言われています。

このことから先ほどの高校生が「モナカ」と読んでも意味合いはあまり変わりません。なので先生もよく知っていると言ったのでしょう。

私たちは知識というと「知識が豊富である」といったような物事をよく知っていることを知識と言ったりします。仏教における知識というと仏教の教えに精通していて、私たちを導いて下さる先生のような人のこと言います。もともとはこの先生のことを「善知識」としていましたが、知識だけでも同じ意味合いを表すようになりました。

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし

これは11月の法語カレンダーです。もともとは高僧和讃の一首で、本当に仏教のことに精通し、導いてくれる先生に出会うことはとても難しいことであるという内容です。高僧和讃は親鸞聖人がご自身を導いてもらった7人の偉大なお坊さんのことを読んだ和讃です。今月の法語カレンダーの一節はその中で、法然上人のご和讃の一首です。親鸞聖人は約20年間比叡山で仏教の修行を続けていましたが、その中で「真の知識」と言える先生に出会うことは出来なかったのでしょう。そして比叡山を降りてから法然上人と出会うことになり、この人こそ親鸞聖人にとって「真の知識」と言える人だと感じ、法然上人について仏教をより学ぶことになりました。その嬉しさ、そしてそれまでの親鸞聖人ご自身の道のりを残されたのが今月の法語になります。

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