回向文(えこうもん)とは

前回はお名号のお話をさせていただきました。今回は廻向文(えこうもん)のお話をさせていただきます。廻向文はお勤めの最後に読むもので、真宗高田派では朝のお勤めでは「世尊我一心」、夕のお勤めでは「願以此功徳」で始まる廻向文をお勤めします。廻向も元々はインドの言葉で直訳すると「自身が収めた功徳を周りにも与える」という意味になります。そして廻向には二種廻向として「往相廻向」と「還相廻向」の2種類があるとされています。「往相回向(おうそうえこう)」は現世で得た自身の功徳を周囲の人に与え、ともにお浄土に生まれようとすること、「還相回向(げんそうえこう)」は先にお浄土に生まれた人々が現世の人間に働きかけ、お浄土に生まれさせそうようとすることをいいます。真宗では親鸞聖人は「往還の廻向は他力に由る」(往還回向由他力)と残されているように、この二種廻向はともに阿弥陀様のお力によるものなのです。一見、「往相回向」は自分たちの力(自力)によってお浄土に生まれることが出来るように思えますが、私達のお浄土に生まれたいと思う気持ちを持ち、阿弥陀様にお救いに気づくことが大切なことであって、実際にお浄土に生まれさせていただくのは阿弥陀様のお力(他力)なのです。また、「還相廻向」は「ワシが放ったお念仏を、喜んで拾うモンが居る」と妙好人の讃岐の庄松さんが残されたように、口からお念仏が出るのも阿弥陀様のお力で、またそれを聞いた人へお念仏が伝わっていくのも阿弥陀様のお力なのです。

世尊我一心 帰命至十方
無碍光如來 願生安楽国

「世尊」はお釈迦様のことで、「我一心」は私は一心にという意味です。また「帰命尽十方無碍光如来」は前回のお話させて頂いたように阿弥陀様へ帰依しますといった意味です。そして「願生」は生まれることを願うこと、「安楽国」はお浄土のことです。なので「お釈迦様、私は一心に阿弥陀様(どんなところを照らしてくださる)へ帰依し、お浄土に生まれることを願います」といった意味合いになります。

願似此功德 平等施一切
同發菩提心 往生安楽国

「願似此」は私達の願望で、「功徳」は阿弥陀様のお救いのことです。「平等一切」はすべてのものが平等に、「施」は施しの意味です。「菩提心」は阿弥陀様の救いを求める気持ちです。「同發」で一緒にその気持ちになることです。「往生」は新しく生まれることで「安楽国」はお浄土のことです。なので「みんなが阿弥陀様を信じて、その救いを望む人すべてが等しく救われ、お浄土に生まれることを願います。」 どちらの廻向文でも私たちの日々のお勤めや年忌法要などの際に最後にお勤めをします。それはその場にいる皆が阿弥陀様に救われることを願っての廻向文なのです。  

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