真実の信心は かならず 名号を具す
2019年の法語カレンダー4月号の言葉です。
名号(みょうごう)とは「南無阿弥陀仏」のことです。南無がインドの「ナマス」の発音を漢字に当てたもので、「ナマス」は「信頼」を意味する言葉ですから「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀様を信頼します」という私の信心を表しています。煩悩一杯の愚かな私を我が子のように憐れんでくださる阿弥陀如来様のお心が私に届き、そのお心に頷く心(信心)が真実であれば、自然と「ナンマンダブツ」のお念仏が出てくださいます。 (法語解説・住職)
真実の信心とは、なんでしょうか。真実の信心があるということは偽りの信心があるのでしょうか。「真実の信心」は私たちがよくお読みする正信偈にも出てきます。
摂 取 心 光 常 照 護
已 能 雖 破 無 明 闇
貪 愛 瞋 憎 之 雲 霧
常 覆 真 実 信 心 天
阿弥陀様の私たちを必ず救ってくださるというその力は私たちの心の闇を綺麗に取り払ってくれます。そのように私たちを救ってくれようとしている阿弥陀様のお力も私たち自身が自分の心に分厚い雲をかけてしまっていては届くものも届かなくなります。この私たちが生み出す分厚い雲が覆い隠してしまうものが真実の信心であると書かれています。真実の信心でもちょっと油断しているとすぐに曇ってしまいます。もし偽の信心(擬信:自力で得たと思っている信心)であった場合は、その信心はどれほど弱いものになるかは想像しやすいでしょう。
榎本栄一の「こころの蛇」という詩を紹介したいと思います。
世の中を
あたまさげて
通りたいと願いながら
私のこころの蛇は
またしても鎌首をもたげる
私たちはこの世をうまく渡りたいと、色々と気持ちをまわしますがちょっと油断すると心の中では、わがままな自分自身の心がたびたび顔を出します。そんなときは自分がそのようなわがままな気持ちになっていることに気づくことが第一歩ではないでしょうか。
そして、私たちはもし真実の信心の断片が見えても、それを覆い隠す雲は絶えず湧いてきますので、その雲の存在に気づいて、日々日々丁寧にお念仏することが大切になります。なので、住職の解説でもあったように自然と「ナンマンダブツ」と言える様な真実の信心であれば大変心強いものでしょう。