人間は死を抱いて生まれ 死をかかえて成長する(2020年カレンダーの7月)

仏教の言葉で生死一如という言葉があります。生きることも死ぬことも一つの如く同じものであるという内容で仏教の死生観を表した言葉です。表裏一体という言葉では表があるから裏があるし、裏があるから表があるとふうにそれぞれの存在がそれぞれの存在を確かなものにしています。これと同じように生きることと死ぬことはそれぞれが掛け替えのないものとして関係しているのです。

ある末期がんの患者さんと向き合ったお医者さんは「死にたくないと言わないで、生きたいと言うようにしましょう」と言って患者さんを励ましたそうです。

「死にたい」と「生きたい」は生の状態を続けたいという同じ意味のはずですが、感じ方はだいぶ違ってくるのではないでしょうか。やはり「死にたくない」だと死から来る恐怖や未練が出てきますし、「生きたい」というとまだ未来へ歩きたい希望のようなものが出てきます。このお医者さん曰く、「死にたくない」という患者さんより「生きたい」という患者さんの方が末期がんでも長生きするそうです。

ここで今月の法語ですが「人間は死を抱いて生まれ 死をかかえて成長する」で信國 淳さんが残した言葉です。

この言葉は事実であるし、私達は本来このような自覚を若く健康な間からこのような思考でいるべきという理想なのでしょう。

私達は自分や肉親に死期が迫ったときに初めて死ということを考え始めますが、まず保険やら遺産やらのことを最初に考えるのではないかと思います。これはある意味当然だと思います。私達は「死」を受け入れろと言っても誰でも怖いでしょうし、難しいでしょう。今月の法語は、ただ単純に死を受けいれて生活をするべきという意味ではないと思います。

先程の末期がんの患者さんで言えば、末期がんになったことが「死」というものを考え始めるきっかけになったでしょう。そこで「死」を受けいれることだけを考えるよりも、この末期がんを機会に「生」をより深く考えることによって長生きができるようになったのではないでしょうか。多くの人は「死」を真面目に考えるきっかけはほとんどないでしょうが、若く健康な間から「人間は死を抱いて生まれ 死をかかえて成長する」ということを意識していればなんでもない日常が幸せなもの、有意義なものになってくる、そのような言葉ではないでしょうか。なので今月の言葉は今の私達がどのように考えていれば今を充実でして生きていけるかということを残してくださった言葉だと思います。