7.~ネズミの共感~ 動物と小悲について

前回は仏教における「慈悲」を簡単に紹介させていただきました。今日は衆生縁の慈悲、「小悲」についてより詳しくお話したいと思います。私達が生きているこの世界で一番実感できるのはこの「小悲」ではないでしょうか。人情、愛情という感覚に近いとお話させていただきました。親鸞聖人のご和讃には「小慈小悲(しょうじしょうひ)もなき身にて有情利益(うじょうりやく)はおもふまじ 如来(にょらい)の願船(がんせん)いまさずは 苦海(くかい)をいかでかわたるべき」というものがあります。このご和讃の前半では「小さな慈悲の心も持っていない私が、他の命を助けることなどできない」と親鸞聖人は残されました。親鸞聖人ほどのお方でも小悲の心をもっていないということはどういうことでしょうか。人情や愛情といったものはもちろん親鸞聖人もお持ちであったと思います。なので単純に小悲と人情、愛情は同じものとは言えないでしょう。それは人情、愛情と言ってもどうしても見返りを求めてしまうことが多いでしょうし、一時の感情で終わってしまうこともあるでしょう。また、お互いの立場を全く考えずに人情や愛情をかけることは不可能でしょう。悪名高き犯罪者と困っている子供に同じように人情や愛情をかけることが出来るでしょうか。小悲はこのようなことを全く物ともしないただ純粋な慈しみの心のことなのでしょう。ここで「ネズミの共感」というお話をしたいとしたいと思います。人情や愛情といった感情は人間や一部の猿にしかないとされてきましたが、近年の生物学の研究で多くの動物にあるのではないかということが分かってきました。「ネズミの共感」は言葉の通りネズミにもそのような感情があるのではないかということを実験したお話です。2004年にアメリカで行われた実験です。同じケースの中に二匹のネズミを入れますが、一匹はケースの中で更に狭い檻の中に閉じ込めておきます。すると、檻の外にいるネズミは、その檻を開けて助けようします。このネズミ同士は初対面であっても助けるそうです。また、何回か同じ実験をして、ケースの中に自由なネズミが二匹いると餌が減ることを学習させても、同様な結果になりました。つまり、他のネズミを助けても自分には不利益しかないのに助けてしまうのです。ここで興味深いのは外から助ける側のネズミを何匹か用意して実験すると、個体によってよく助けるネズミと全く助けないネズミがいたそうです。つまり、ネズミは本能的に助けているのではなく、「性格のいいネズミ」と「性格の悪いネズミ」がいることになります。また「性格の悪いネズミ」に檻に閉じ込められる体験させると、次の実験からは他のネズミを助けるようになったそうです。このことからネズミには慈悲の心があって、それは見返りを求めない純粋な慈悲の心に近く、またネズミの慈悲の心は経験によって養われると言って良いのではないでしょうか。今日はここでお話を終わらせていただきます。次回は動物と慈悲の気持ちについてもう少しお話したいと思います。