5.〜科学の進歩〜 現代科学と生命観

ここまで「縁起」「諸行無常」「諸法無我」とお話させていただきました。以前に「いのち」のお話をさせていただいた時にミドリムシと筋肉の細胞の話が出てきたと思います。ビーカーの中に<ミドリムシと池の水>と<筋肉の細胞と体内と同じような水>を入れたものを比較すると、多くの人はミドリムシは「いのち」があると感じるのに筋肉の細胞には「いのち」がないと感じることになると思います。これはなぜでしょうか。ゾウリムシは自然で、筋肉は人工だからでしょうか。多くの人は感覚的にそう感じると思います。昔であれば切り落とされた筋肉、例えば切れた「トカゲのしっぽ」はしばらくその場で暴れた後は、腐って土に帰って行きます。またハエなどが食べることなどもあるでしょう。その後は「諸法無我」でお話したとおり、その栄養は世界を食物連鎖で回っていきます。そして、またトカゲに帰ってくることもあるでしょう。切り離されたトカゲのシッポがトカゲでなくなる瞬間はいつなのでしょうか。切り落とされた瞬間でしょうか。動かなくなった瞬間でしょうか。土に帰った瞬間でしょうか。誰にもわかりませんし、それにこだわる必要はないのでしょう。ここでビーカーの中の筋肉のことを考えてみましょう。昔は動物から切り落とされた筋肉をそのまま保存し、またビーカーの中で伸び縮できるなんてことは想像もできなかったでしょう。これが出来るのは科学技術の賜物と言えるでしょう。医療の分野では、軟骨の細胞取り出して培養した後に体に戻して治療に用いるといったことが行われています。非自然的ということを除けば、先程のトカゲのシッポと何か違うところはあると思いますか?私には説明することはできません。なので最初にお話したミドリムシも筋肉の細胞もそれぞれが「いのち」というしかないと思います。もちろん、違和感を感じている方も多いと思います。ここを考えるためには人工的か、自然的かのことを考えなければならないと思いますので、次回はここをお話ししたいと思います。