十方の如来は 衆生を一子のごとくに 憐念す(5月の法語カレンダー)

十方の如来は 衆生を一子のごとくに 憐念す

2019年の法語カレンダー5月号の言葉です。

名号(みょうごう)とは「南無阿弥陀仏」のことです。南無がインドの「ナマス」の発音を漢字に当てたもので、「ナマス」は「信頼」を意味する言葉ですから「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀様を信頼します」という私の信心を表しています。煩悩一杯の愚かな私を我が子のように憐れんでくださる阿弥陀如来様のお心が私に届き、そのお心に頷く心(信心)が真実であれば、自然と「ナンマンダブツ」のお念仏が出てくださいます。 (法語解説・住職)

四方八方という言葉があるように東西南北の4つの方向に、北東などそれぞれの間を足して八方向、そして上下を足して十方向となります。これですべての方向を表していることになります。衆生とはこの世界にいる私たち、すべての人間のことです。つまり、阿弥陀様はどんな場所にいるどんな人間でも一人ひとりを自身の子供のように思い、救い取ろうとしている、このような内容になるのではないでしょうか。

よく真宗では阿弥陀如来様を親として表現されることが多いです。これは、よく阿弥陀様の「摂取不捨」のお気持ちを表されていて、現代の私たちでも大変わかりやすく「あ、あそうか」となるとても良い表現ではないかと思います。

また親鸞聖人のご和讃では 

子の母をおもふがごとくにて仏を憶すれば

とも書かれております。なので、私たちは阿弥陀様を母のごとく慕うことでその阿弥陀様の思いに答えることができるとなるでしょう。妙好人の浅原才市さんは

なむあみだぶつ なむあみだぶつ 念仏は 親の呼び声 子の返事

という言葉を残しております。とても小さい、幼稚園児ぐらいの子供のことを考えてください。それぐらいの子供だと「お母さん」「かぁちゃん」「まま」と呼び方は様々ですが、母を呼ぶことに深い意味はないでしょう。子供は笑顔のときも、涙を流すときも母のことを呼びながら母の胸に飛び込む、そんな様子を想像するのは簡単でしょう。大人になった私たちが「なもあみだぶつ」とお念仏する時、この母を呼ぶような子供のように嬉しい時も悲しいときもただただ阿弥陀様のお名前を呼ぶような気持ちでお念仏するのが良いのではないでしょうか。このことが住職の法語解説にもあった自然と口からお念仏が出てくるということでしょう。