人間は我を知らず 我ほど知り難いものはないのである(2021年法語カレンダー7月)

 

自力称名のひとはみな

如来の本願信ぜねば

うたがうつみのふかきゆえ

七宝の獄にぞいましむる

 

これは正像末和讃の一首です。このご和讃は「阿弥陀様の力ではなく、自分の力で悟りを得ようとする人は罪深く、金銀財宝で作られた檻の中で過ごすことになる」といった内容です。このご和讃では阿弥陀様のお力を信じることの大切さと自力での救済を求めることが愚かであることがよく表されていると思います。特に「七宝の獄」という例えはとても分かりやすいと思います。現実世界で高級品や金品に囲まれて満足することは一見豊かに見えますが、実は自分を宝物で作られた檻に閉じ込めているようなものなのです。なかなか手に入れないものを手に入れ、自分は優れていると優越感に浸ることはやはり愚かことであるのでしょう。阿弥陀様のお救いはどんな人にも平等に向けられていると思うとなかなかその価値を理解することは難しいと思います。子供のころに「馬鹿」などと書いた張り紙を背中に付けたり、つけられたりして遊んだ経験は皆さんあると思います。自分の背中は見えないから楽しめる遊びなのでしょうが、大人になってからも私たちは同じようなことを続けているのです。他人を見て、自分の中で勝手に優劣を付けて目に見えない張り紙を他人の背中にくっつけているのです。でも実は他人にそのような張り紙を付けると実は自分にも「愚かなもの」という張り紙を付けていることにはなかなか気付かないものなのです。

 

今月の法語は

「人間は我を知らず 我ほど知り難いものはないのである」という言葉です。

まさに自分の背中は見えにくいのに、その背中が見えたつもりになっている。そのような私たちを阿弥陀様は哀れみ、そして優しい眼差しで見てくださっていることを忘れてはいけないでしょう。

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