悲しみの深さのなかに 真のよろこびがある(2020年カレンダーの表紙)

  悲しみの深さのなかに 真のよろこびがある

これは2020年法語カレンダーの表紙の言葉です。これは瓜生津隆真さんが残してくださった言葉です。

とても悲しい思いをした人にこそ、本当の喜びが分かるというのも確かかもしれません。多くの人にとっては肉親の死が一番の悲しみだと思います。自分の親を送る、配偶者を送ることで悲しみ、そしてそこでしか得られない経験を積んでいくことになるのでしょう。人によっては自身の子を先に送るというとても悲しい経験をされる方もいて、それを乗り越えて、強く人生を歩んでいくような方も多くいます。
では、そのような悲しい思いをしなければ、真の喜びはわからないのでしょうか。そのようなことはないと思います。悲しみも喜びも相対的なものと考えてもよいのではないでしょうか。
例えば今まで家族が亡くなっていない子供のペットの金魚が亡くなったときに、その子供はとても悲しい思いをするものでしょう。子供にとっては例え小さな金魚の命であっても、人生の中でもっとも悲しい体験になると思います。子供はその後の人生では命の大切さを少しづつ理解していくでしょうし、喜びをより深く味わえるようになります。私達自身の経験でも皆さん思い当たることがあると思います。このような経験を経て私達は少しづつ強くなっていきます。

 

尽十方の無礙光は
無明のやみをてらしつつ
一念歓喜するひとを
かならず滅度にいたらしむ

 

これは親鸞聖人が高僧和讃の中で曇鸞さんを讃えたご和讃のうちの一つです。
このご和讃では、阿弥陀様の無碍光のお力はすべての闇を照らし、その力をありがたく思う人は必ずお浄土に生まれさせていただく、ということになります。
このご和讃では阿弥陀様のお力を讃えつつ、その阿弥陀様のお力に会う条件を示してもらえました。その条件はその阿弥陀様のお力をただただ願い、その救いを喜ぶことでしょう。
しかし、この条件は簡単なようで大変難しいことです。このご和讃でもあるように、私達は無明の闇の中にいるということを自覚しなければならないと思います。その終わりのない闇の深さを感じれば感じるほど阿弥陀様の無碍光の有り難みを味わえるのではないでしょうか。この闇の存在、そして自覚が阿弥陀様のお救いに会える第一歩となると思います。

今月の法語のお話に戻りますが、私達大人がペットの金魚が死んでしまっても冷静に対応してしまうのではないでしょうか。でも決してそれに慣れてしまってはいけないと思います。小さな悲しみでもそれを一つ一つしっかり向き合っていけば、小さな喜びの価値はずっとずっと良いものになると思います。

 

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